本日(2025/3/20)はオウム真理教による地下鉄サリン事件から30年という事で、様々な記事や番組などが公開されています。
一つ、「IF」のシミュレーションとして、当時のオウムがサリン生成に失敗してテロを実行できず、危険な思想・教義を抱いたままで教団および麻原彰晃が2025年の現在も生き延びていたら(現実に、残党は「アレフ」やら「ひかりの輪」などと名乗って生き残って活動しているのですが)、一体どのような行動をとっていたか。
麻原のパーソナリティや教義の性質を細かく考えると、かなり無理は出てしまうのですが、オウム以前から問題を起こしまくっている統一協会が未だに「存続」している位なので、全くあり得ない話でもないと思います。
いくつかの観点から、ざっくりと考察してみましょう。
●ネット、ITの「活用」
地下鉄サリン事件の起きた1995年は、携帯電話、パソコン、インターネットといった情報機器の爆発的普及が起こる、ちょうど「境い目」となった年でもあります。
それまでヨガ教室などリアルの場によるアナログな手法で行われていた信者集めが、初期の掲示板〜SNSへと移行する過程においてデジタル化され、ライトな層も含めてさらに大量のシンパを集めていた可能性は大いにあります(実際、残党による信者集めは当然のようにSNSが活用されている模様)。
もし、現実(1995年)より少し後に大規模テロを実行していた場合、通信手段の劇的な進化も含めて、さらに「効果的」に遂行できてしまったかもしれません。
「カルト宗教団体による、都心での大規模な毒ガステロ」という未曾有の経験を経ていなければ、公安の監視などもずっと緩かったでしょう。
ITの急激な発展は、確実にオウムの「利」になっていたはずなので、もしテロ実行が(誰もが携帯を持ち、既にインターネットが広く使われていた)数年程度後であっても、さらに悲劇的な状況になったのでは…と背筋が寒くなります。
●「合法」ビジネスの拡大
オウムが、パソコンショップや弁当屋といった「合法」ビジネスも行っていたのは有名ですが、これらの店鋪は「信者の無料労働」によって激安を実現していました。
1990年代中盤以降は急激なデフレが進行しており、「激安」が持て囃され始めた時期でもあります。そうした中で、何らかの「激安ビジネス」が大当たりして、大きな資金源となったかもしれません。
また「就職氷河期」が本格化するのもサリン事件の後。絶望を抱えた氷河期世代の入信が増えて、そうしたビジネスの「労働力」になった可能性もあります。
●海外での拡大
オウムはソ連崩壊後の混乱が続くロシアで勢力を伸ばし、武器の調達などもそのルートで進んでいました(ちなみに、プーチンが政治に進出したのも、オウムのロシア進出と同時期。混乱に乗じて勢力を伸ばしやすい時期だったのでしょう)。
サリン事件によって世界的にカルト組織との認識が広がらなければ、世界各地の拠点でさらなる力を蓄え、ずっと強大なテロ組織(武力だけでなく、サイバーテロなども含めた)になっていたかもしれません。
●震災やコロナを絡めた終末思想
1995年1月の阪神・淡路大震災時、オウムは前年からの各種テロ(よしりん先生の暗殺未遂もこの時期)実行の真っ最中でしたが、もしその状況でなければ、震災を終末思想とからめて布教に利用していたかもしれません。
その後の、ニューヨーク9.11、東日本大震災及び原発事故、コロナ騒動など社会に不安と混乱が発生するたびに、そこにつけこんで(フェイクニュースなどの情報撹乱も併用して)弱った人心を絡め取ろうとしたでしょう。
●「エセ保守」としての政治工作
強烈な反日思想をむき出しにした統一協会が、(エセ)「保守」界隈や、自民党に深く入り込んで行った現実を思えば、類似した形でそれらの層に入り込んで行った可能性も大いにあります。
麻原彰晃は、天皇に代わって「神聖法皇」とかいうモノになって日本を支配する野望を持っていたようですが、そのための方策として天皇・皇室の断絶のために、男系男子固執の論を強力に進めていた可能性もかなり大きいでしょう。
以上、ざっくりと書いてみましたが、きっと読まれた方それぞれの中で「あれも」「これも」と色々なIFが浮かんだのではないでしょうか。
価値相対化の沼地から生まれてしまったオウムという怪物によるテロを経ても、そこから「教訓」など得る事もなく、現在はいっそう混沌とした「価値紊乱」の時代となってしまいました。
「社会が〝良く〟なって棚ぼたで幸福になる」のを口を開けて待つ事は、虚無や諦念しか生みません。歴史と同時代の交差点に存在するちっぽけな自分の「現場」(これは価値相対的な意味ではなく「色々な姿」があるはず)からしか何も得られない、これはこの30年変わらない自分の足場となっています。